大判例

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東京地方裁判所 平成元年(ワ)493号 判決

①事件

原告兼亡原告石山和子承継人

山田里香

山田未加

右両名訴訟代理人弁護士

鷹取謙治

被告

学校法人東京女子醫科大学

右代表者理事

吉岡博人

被告

神保実

右両名訴訟代理人弁護士

松井宣

小川修

松井るり子

主文

一  被告らは、原告らそれぞれに対し、金一四九〇万三一六三円及び右各金員に対する昭和六二年三月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員を連帯して支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを一〇分し、その二を被告らの負担とし、その余を原告らの負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、原告山田里香に対し金八一〇三万一三一八円、原告山田未加に対し金四二九六万一三一八円及び右各金員に対する昭和六二年三月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員を連帯して支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  第1項につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告山田里香は亡石山和子(以下「石山」という。)の長女、原告山田未加は石山の次女である。

(二) 被告神保実(以下「被告神保」という。)は、被告学校法人東京女子醫科大学(以下「被告大学」という。)が開設する東京女子醫科大学第二病院(以下「被告病院」という。)に勤務する医師である。

2  石山の診療経過

(一) 石山は、昭和六一年一一月ころから体調が悪く、都立広尾病院(以下「広尾病院」という。)に通院し、検査を受けていたが、昭和六二年三月ころ、頭がふらつく等の症状が出たため、担当の保坂医師に相談し、診察を受けた結果、同医師から、小脳に腫瘍が存在していること、右腫瘍は悪性ではないが、長年放置しておくと日常の行動に支障を来すおそれがある旨の診断を受けた。

(二) 石山及び原告らは、保坂医師に治療方針等を相談した上、被告病院には石山の遠縁に当たる被告神保が勤務していたので、昭和六二年三月一一日、被告神保を被告病院に訪問し、手術の要否等について相談した。本件当時、石山は既に六二歳という高齢であったため、手術の危険性、必要性の有無が検討されたが、手術の危険性については、被告神保から極めて簡単で安全な手術である旨説明されたこと、手術の必要性については、当時石山が営んでいた金融業が銀行の金利低下等で採算が合わなくなってきており、事業方針を転換するために早めに手術をする必要があったことから、石山は、被告病院で手術を受けることを決意した。

(三) 石山は、昭和六二年三月一三日、被告病院に入院し、以後、本格的な検査が開始された。同月二三日には特殊撮影検査が実施され、脳腫瘍の存在が確認された。

同月二六日午前九時、石山は手術室に入室し、午前九時五分、麻酔が開始され、午前一〇時三二分、被告神保の執刀で、石山に対する脳腫瘍の摘出手術(以下「本件手術」という。)が開始された。ところが、脳腫瘍除去のため頭蓋後頭部の開頭を目的の三分の二程度行ったところで石山の血圧が異常低下したため、被告神保は、心臓マッサージ等による血圧回復後、手術の続行を断念した。

(四) 石山は、右手術の日である同月二六日以降、意識障害及び運動障害が発生し、これを回復するため入院を継続した(その後、治療不備が原因で眼病となり失明したものと思われる。)が、本件手術の後遺症である意識障害、運動障害は全く回復せず、手術以後は植物状態となり、平成元年八月二五日死亡した。

3  血圧低下の原因

石山の前記血圧の異常低下は、本件手術による静脈損傷の結果、損傷部位から空気が血液中に混入したこと(空気塞栓)によるものである。空気塞栓は、頭部手術等を行う際には多大の注意を払うべきものであり、とりわけ、手術の体位が座位による場合、その発症の頻度が多く、厳重な注意を要するところ、本件手術が座位で行われた結果、手術開始後ほどなくして空気塞栓が発症したのである。

4  被告らの責任

(一) 不法行為責任

被告神保は、本件手術の執刀者として民法七〇九条に基づき、被告大学は、被告神保の使用者として同法七一五条一項に基づき、以下の各過失により原告らに生じた後記損害を賠償する責任を負う。仮に、被告神保が本件手術について執刀をしていなくても、同被告は本件手術についての最高責任者であり、本件手術については、手術現場に臨場し、執刀者等の指揮監督にあたっていたのであるから、本件手術についての指揮監督者として、使用者に代わって監督する者として、民法七一五条二項に基づき、損害賠償責任を負う。

(1) 手術体位選択に関する過失

座位手術が空気塞栓の発症の可能性を伴い、極めて危険性が高いことは医学上の常識であり、本件手術を座位で実施する必要性は全くなかったのであるから、被告神保には、より安全な手術体位で本件手術を実施すべき注意義務があったにもかかわらず、右危険性を全く認識せず、あるいは無視して、座位で手術を実施する場合の利点(術野の確保)のみを追及する余り(顕微鏡外科の発達によって、座位手術が他の手術体位に比べ術野の確保という点で特に勝るということもなくなったため、現在では座位による手術はほとんど行われなくなっている。)、極めて安易に座位の体位を選択し、空気塞栓を発症させて石山を植物状態とし、その結果、死亡させた過失がある。

(2) モニタリングに関する過失

また、座位を選択するとしても、座位手術の右の危険性からすれば、被告神保には、空気塞栓についての十分なモニタリング(終末呼気炭酸ガス濃度測定装置、ドップラー超音波器、中心静脈圧測定装置等)を装置した上で本件手術を行うべき注意義務があったにもかかわらず、これを怠り、空気塞栓発症に備えて何らの準備もしないまま本件手術を開始し、石山を植物状態とし、その結果、死亡させた過失がある(本件手術のいつの時点で空気塞栓が発症したのかは不明であるが、被告病院の担当麻酔医が空気塞栓発症と診断した時点の相当以前に発症していた可能性が高いため、空気塞栓発症を早期に発見できていれば、体位の変換等で空気の流入は防げたはずであるし、本件のごとき重篤な症状とはなっていなかったはずである。)。

(3) 事後措置に関する過失

本件では、手術半ばにして空気塞栓が発症しており、被告神保には、空気流入の遮断、開放静脈の閉鎖、体位の変換、空気の吸引除去(中心静脈カテーテルか、場合によっては心穿刺により行う。)等の空気塞栓の対症療法を迅速に行うべき注意義務があったにもかかわらず、空気塞栓の発症に即応できず、単に血圧の正常化のみに腐心し、適切な事後措置を行わなかったか、すくなくとも迅速に行わず、石山を植物状態にして、その結果、死亡させた過失がある。

(二) 債務不履行責任

被告大学は、昭和六二年三月一三日、石山との間で、医療水準に適った適切な治療行為を行うことを内容とする診療契約を締結したが、前記の各過失により原告らに後記損害を与えたのであるから、民法四一五条に基づき、右損害を賠償する責任を負う。

5  損害

(一) 石山の損害

(1) 休業損害及び逸失利益

二三九七万円

石山は、有限会社丸盛(以下「丸盛」という。)から昭和六一年度実績で給料三四〇万円を得ていたが、本件医療過誤事件に伴う意識障害、運動障害によって、労働能力を一〇〇パーセント喪失した。よって、石山の就労可能年数を平均余命(二一年)の二分の一とみて、中間利息をホフマン方式で控除して、石山の得べかりし給与所得喪失額を計算すると、次の式のとおり二三九七万円となる。

3,400,000円×21.86×0.5×0.6451≒23,970,000円

(2) 慰謝料 三〇〇〇万円

石山は、本件手術前は多少ふらつく等の症状はあったものの、その他格別異常はなく、既述のごとき事情のもとに敢えて本件手術を行った結果、激痛の後に全く意識がない植物状態となり、遂には死亡するに至ったのであり、本人の無念さは計り知ることができない。

よって、石山が本件手術により被った精神的苦痛を慰謝するための慰謝料としては、三〇〇〇万円が相当である。

(3) 鑑定費用 一五万円

石山は、本件医療過誤によって植物状態となり、意思能力を喪失したので、東京家庭裁判所に対して禁治産宣告及び後見人選任の申し立てをし、昭和六三年一二月、その旨の審判を得たが、右の際、鑑定費用として一五万円を裁判所に納めた。

(4) 相続

原告らは、石山の相続人として、石山の右(1)ないし(3)の損害賠償債権を各二分の一の割合で相続した。

(二) 原告ら固有の損害

(1) 休業損害(原告山田里香)

二九六一万円

原告山田里香は、丸盛から昭和六一年度実績で給料四二〇万円を得ていたが、丸盛の一人株主であり、オーナーである石山が、本件医療過誤事件に伴う意識障害、運動障害によって労働能力を一〇〇パーセント喪失した結果、丸盛の運営は全く頓挫してしまった。原告山田里香は、これ以外に再就職できる余地はなく、石山が平均余命の半分稼働し得たとすれば、その間、丸盛も活動することができ、原告山田里香も同社で稼働して、少なくとも右金額の給料を得ることができたから、得べかりし給与所得喪失額を計算すると、石山の休業損害及び逸失利益に関する前記数式が同原告にも当てはまり、次の式のとおり二九六一万円となる。

4,200,000円×21.86×0.5×0.6451≒29,610,000円

(2) 慰謝料

原告山田里香 一五〇〇万円

原告山田未加 一〇〇〇万円

石山の娘である原告らは、本件医療過誤に基づく母親のあまりの変わりように驚愕してしまい、その結果、原告山田里香は躁病になり、昭和六二年八月一一日から同年九月一三日まで入院を余儀なくされ、その後も通院を続けるほどの衝撃を受けた。

よって、原告山田里香の慰謝料としては一五〇〇万円、原告山田未加の慰謝料としては一〇〇〇万円が相当である。

(3) 葬儀費用 四〇〇万二六三七円

原告らは、石山の葬儀、埋葬費用として、四〇〇万二六三七円を支出した。

(4) 弁護士費用

原告山田里香 七三六万円

原告山田未加 三九〇万円

原告らは、本件訴訟の提起及び追行を原告ら訴訟代理人に委任し、報酬として、原告山田里香は七三六万円、原告山田未加は三九〇万円を支払うことを約した。

6  結論

よって、原告らは、被告らに対し、債務不履行又は不法行為に基づく損害賠償として、原告山田里香においては八一〇三万一三一八円、原告山田未加においては四二九六万一三一八円及び右各金員に対する本件手術の日である昭和六二年三月二六日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を連帯して支払うことを求める。

二  請求原因に対する認否及び被告らの主張

1  請求原因1の事実は認める。

2(一)  請求原因2(一)の事実のうち、石山が、昭和六一年一一月ころから体調が悪く、広尾病院に通院し、検査を受けていたこと、昭和六二年三月ころ、頭がふらつく等の症状につき保坂医師に相談し、診察を受けたこと、その結果、同月九日、同医師から、小脳に腫瘍が存在する旨の診断を受けたことは認め、その余の事実は争う。

(二)  請求原因2(二)の事実のうち、昭和六二年三月一一日、石山が遠縁に当たる被告神保を被告病院に訪問し、手術の要否等につき相談したこと、石山が本件手術当時六二歳であったことは認め、被告神保が極めて簡単で安全な手術である旨説明したことは否認し、その余の事実は知らない。

(三)  請求原因2(三)の事実のうち、石山が昭和六二年三月一三日に被告病院に入院し、以後本格的な検査が開始されたこと、同月二六日午前九時、石山が手術室に入室し、午前九時五分、麻酔が開始され、午前一〇時三二分、本件手術が開始されたこと、右手術中に石山の血圧が異常低下したため、心臓マッサージ等による血圧回復後、手術の続行が断念されたことは認め、その余の事実は否認する。

(四)  請求原因2(四)の事実のうち、原因ら主張の日に石山が死亡したことは認め、治療不備が原因で眼病となり失明したものと思われるとの点は否認し、その余の事実は争う。

(五)  石山の診療及び手術の経過は、次のとおりである。

(1) 石山は、昭和六一年一一月ころ、めまい、歩行時ふらつき、吐き気が突然出現し、二日後に広尾病院を受診し、注射による応急処置を受け、以後定期的に同病院で通院加療を受けていた。その後も、歩行時ふらつきがときどき起こり、昭和六二年三月二日、同病院受診時にCT(コンピューター断層撮影法)画像上、小脳に異常所見が認められたので、精査のため同病院に入院したが、同月一三日、遠縁に当たる被告神保の勤務する被告病院脳神経外科での診療を希望し、被告病院に転院した。

被告病院脳神経外科は、石山の症状を確認し、鑑別診断のため耳鼻科を、併存症状の診断のため眼科を受診させるとともに、同月二三日脳血管撮影を実施し、これと同月一〇日広尾病院で既に施行されたコンピューター断層撮影の結果から、石山には、くるみ大の小脳血管芽腫(以下「本件腫瘍」という。)があることを確認した。

被告神保は、石山に小脳血管芽腫の診断がついた時点で、石山及び原告らに対し、CTフィルムを示して、現在の症状、手術の必要性及び危険性につき説明した。

(2) 血管芽腫は、成人小脳や脳幹部に発生する腫瘍であり、小脳半球に発生した腫瘍が一般的には大きな嚢胞を作り、壁在結節の形で腫瘍がみられる。小脳血管芽腫の治療法は、外科的全摘出手術しかなく、全摘出すれば全治する。病理組織学的には良性腫瘍であるが、放置すれば最終的には生命に関わるという意味から言えば臨床的には悪性であり、死に至る可能性のある重大な疾患である。

(3) 被告病院脳神経外科は、その症例検討会において、石山の手術適応の有無、手術の日時、手術の体位、全身検査所見等を検討した結果、本件腫瘍を摘出する手術(本件手術)を昭和六二年三月二六日に実施すること及び右手術を座位で行うことを決定した(座位で実施する理由は後記4(一)のとおり)。

(4) 本件手術は、昭和六二年三月二六日、被告神保、山本昌昭医師ほかにより実施された。同日午前九時五分に石山に対し麻酔を実施し、その後、患者の体を徐々に起こし、頭部を三点で固定し(座位)、消毒後、午前一〇時三二分、山本医師が執刀を開始した。

同医師は、頭蓋後頭部に穿頭術を施行した後、正中皮膚切開、筋肉切離(電気メスで血管を凝固しながら)、骨切除(骨弁の除去)を各々頭皮クリップ、電気凝固、生理食塩水、生食ガーゼ、骨ろう等を用いながら実施した。

手術開始後、血圧は最高一二〇(ミリメートル水銀柱、以下同様)ないし一四〇、最低七〇ないし八〇に保たれ、脈拍数六〇ないし九〇/毎分で安定していたが、午前一一時五〇分過ぎころ、突然血圧が触知不能となった。心雑音が聴取され、心電図では、右脚ブロック、期外収縮(PAC、PVC)の所見を呈した。

手術は直ちに中断され、麻酔剤の笑気及びハローセンを切り、純酸素で呼吸を維持し、昇圧剤(カルニゲン二分の一アンプル、ノルアドレナリン二分の一アンプル)を投与し、心臓マッサージを行った。相前後して術創は十分に生理食塩水を含んだガーゼで充填し、ベッドを座位から四五度近くまで戻し、頭位を可及的低位にするよう努めた。

午後一二時二分には、血圧は六四位に戻り、午後一二時五分から一〇分ころには、血圧は一二〇/九〇程に回復した。以後手術終了まで血圧の低下はない。午後一二時三〇分ころまで状況を観察していたが、小さい心雑音が聴取されていたので、ショック対策として、リンデロン(副腎ホルモン)一〇〇ミリグラムを静注した。呼吸は、終始補助呼吸であり、血圧低下後、呼吸状態に変化はない。この事故の発生により、手術の続行を中止し、午後一二時三〇分過ぎ、石山の体位を手術の可能な程度の座位へゆっくり戻したが、頭部をできるだけ低くするようにして術創を閉鎖した。手術終了は午後一時五分であった。

なお、被告神保は、手術執刀者の一人として、本件手術のメンバーであったが、同被告の執刀開始前に石山の血圧低下が発生したものである。

(5) 石山は、本件手術中の血圧低下の後に発生した意識障害等のため入院を継続し、一時的には意識状態、運動障害もやや軽快し、応答、接食行動もみられたが、昭和六二年一一月二〇日以降、植物状態に移行し、平成元年八月二五日、死亡した。石山の死亡については、本件腫瘍の増悪も一因であったと考えられる。

3  請求原因3の事実のうち、石山の手術の体位が座位であったことは認め、その余の事実は否認又は争う。

本件手術中の石山の血圧の異常低下は、空気塞栓に起因すると推定することも不可能ではないが、手術中における心機能の突然の異常により発生したとの推定も否定できない。

4  請求原因4の事実のうち、被告神保が本件手術の執刀者であることは否認し、被告大学が被告神保の使用者であることは認め、その余の主張は争う。本件医療行為について、債務不履行又は不法行為は成立しない。

(一) 手術体位選択に関する過失について

小脳血管芽腫の手術体位としては、座位又は腹臥位が考えられるところ、腹臥位による場合は、静脈血圧が高く、静脈還流が妨げられるため術中の出血量が多いという基本的難点がある。他方、座位による場合は、重力に伴い血液が排出され、術野がきれいで出血点の確認、止血が容易であり、出血量を少なくすることができるほか、術中の出血が術野の外に流れ去るため、血液により術野の視界が妨害され難いなどの利点がある。本件腫瘍は、小脳虫部上半部を占め、腫瘍実質部(腫瘍結節)は中脳四丘体部の背側にほとんど接しており、その摘出手術は、後頭蓋窩手術としては、最も上部かつ深部の手術となることに加え、小脳血管芽腫は非常に出血しやい腫瘍であり、手術に際しては、術中の出血量を少なくすることが特に重要であることを考えると、腫瘍の根治手術を企図した場合、座位手術の右利点をフルにいかすことが必要であり、本件で座位手術を選択したことは医師の裁量の範囲内というべきである。

(二) モニタリングに関する過失について

被告病院では、空気塞栓発症に対するモニタリングとして、胸上及び食道聴診、心電図、血液ガス測定(間歇的)等を実施したが、中心静脈カテーテルは、患者に与える苦痛や、これを施行することによる合併症(カテーテル穿刺自体が空気塞栓発症の原因となる。)を考慮して使用しなかった。また、昭和六二年三月当時、終末呼気炭酸ガス濃度測定装置は普及の途上にあり、これを設置していなかったとしても、当時の医療水準に照らし、不相当と言うことはできない。

本件において、仮に原告ら主張のモニタリングがされていたとしても、早期発見により空気の流入が避け得たという保証はない。すなわち、空気の流入は、露出静脈へ少量ずつ流入する場合と、急速に多量の空気が流入する場合との二通りが考えられるが、前者の場合であるとすれば、早期に発見しても空気流入の許容量の限界がわからないため、手術中止の決断をするタイミングが不明であるし(ドップラー超音波器は、感受性が強すぎ手術進行の妨げになることが指摘されている。)、後者の場合であるとすれば、麻酔医の手術中止の指示は、本件で行われたと同様に午前一一時四五分ないし五〇分ころの血圧低下発生の直後にされた可能性が高く、結局、モニタリングの効果は疑問と言わざるを得ない。

(三) 事後措置に関する過失について

本件手術の執刀医師らは、血圧低下の原因は第一次的には何らかの心機能の異常によるものと考え、ショック対策を実施したが、空気塞栓の可能性も、全く否定できないので、閉頭段階でもこれに十分留意して処置したものであり、何ら過失はない。本件で仮に中心静脈カテーテルを使用していたとしても、いったん空気塞栓が起こってしまった場合、流入した空気(気泡)を除去し得た可能性は非常に低く、効果的な治療は現実には実施不可能である。また、心穿刺は心臓に直接針を刺す方法で、それだけでも心停止を起こさせる危険な方法であり、少なくとも心機能が正常に復した本件では絶対にとるべき方法ではない。

5(一)  請求原因5の事実のうち、石山が鑑定費用を支払ったこと、原告山田里香が躁病になり入通院したことは知らない。その余の事実は否認又は争う。

(二)  本件において、仮に被告らに債務不履行又は不法行為が成立するとしても、原告らの主張する損害額は、以下のとおり、不当に高額なものと言わざるを得ない。

(1) 石山の休業損害及び逸失利益について

原告らは、石山が丸盛から昭和六一年実績で給料三四〇万円を得ていたとして、これを基準に平均余命の二分の一を就労可能年数として損害額を算定する。

しかしながら、丸盛は、昭和六〇年五月一三日に設立された会社であり、本件事故のあった昭和六二年三月二六日までの間は二年にも満たず、その間の事業内容の実態をみても、およそ会社としての実績と呼べるものは存在しないのが実情である。右事実に鑑みるならば、仮に石山が本件の事態に遭遇することなく従前どおりの活動を継続し得たとしても、丸盛が企業として存続し、将来にわたり安定した収益を挙げ続けたとする蓋然性は極めて乏しく、従って、前記三四〇万円を基準に石山の休業損害及び逸失利益を算定する基礎を欠く。

さらに、本件腫瘍の腫瘍結節は中脳四丘体部の背側にほとんど接しており、その全摘手術は脳外科手術の中でも難度が高い部類に属すること、小脳血管芽腫の腫瘍死亡率は約三割に及ぶことからすると、仮に本件手術中の血圧の低下等の事態の発生がなく、手術を最後まで実施し得たとしても、石山が手術前の労働能力を回復し、かつ平均余命年齢まで生存し得た確率は極めて低く、原告らの主張する逸失利益の基礎となる年額三四〇万円を将来にわたり収入し得た可能性は無く、就労可能年数も長きに失する。

(2) 原告山田里香の逸失利益について

原告山田里香は、石山の死亡により丸盛が損害を受け、これにより同原告は丸盛より得べかりし給与所得の利益を失った旨主張するが、第一に、丸盛は、前記のとおり企業としての実績がなく、石山の労働能力の喪失、死亡という事態の有無にかかわりなく、その営業が遠からず頓挫したであろうことは予測でき、年額四二〇万円を基準額とする損害額の主張には理由がない。第二に、原告山田里香が他に再就職する余地がないとする特段の事情はない以上、仮に石山の死亡と丸盛の損害との間に因果関係が認められるとしても、丸盛の損害と原告山田里香の損害との間には相当因果関係は認められないから、原告山田里香が固有の損害賠償を請求する理由はない。

(3) 慰謝料について

被告らに債務不履行又は不法行為が成立する場合でも、原告ら固有の慰謝料は認められない。

のみならず、石山が小脳血管芽腫という極めて手術の困難な疾患に罹患していたこと、本件手術が仮に最後まで実施されたとしても、その予後及び生存可能年数は一般の健康人と同一ではないことは明らかであることからすると、慰謝料額算定についても、右事情を十分斟酌し、一般の健康人に認められる慰謝料額から相当程度減額されなければ妥当ではない。

6  請求原因6の主張は争う。

第三  証拠〈略〉

理由

一  原告山田里香は石山の長女、原告山田未加は石山の次女であること、被告神保は被告大学が開設する被告病院に勤務する医師であり、被告大学は被告神保の使用者であること、石山は、昭和六一年一一月ころから体調が悪く、広尾病院に通院し、検査を受けていたが、昭和六二年三月ころ、頭がふらつく等の症状につき保坂医師に相談し、同月九日、同医師から、小脳に腫瘍が存在する旨診断を受けたこと、石山が同月一一日に遠縁に当たる被告神保を被告病院に訪問し、手術の要否等につき相談したこと、石山が同月一三日に被告病院に入院し、以後本格的な検査が開始されたこと、同月二六日午前九時、石山が手術室に入室し、午前九時五分、麻酔が開始され、午前一〇時三二分、本件手術が開始されたが、右手術中石山の血圧が異常低下したため、心臓マッサージ等による血圧回復後、手術の続行が断念されたこと、本件手術の体位が座位であったこと、本件手術当時石山は六二歳であったこと、平成元年八月二五日に石山が死亡したこと、以上の各事実は当事者間に争いがない。

二  石山の診療経過等

右争いのない事実に加え、〈書証番号略〉、証人山本昌昭、同丸山正則、同相羽正の各証言、被告神保実本人尋問の結果及び鑑定人相羽正、同丸山正則の各鑑定の結果(以下、右各鑑定の結果を併せて「本件各鑑定の結果」ともいう。)並びに弁論の全趣旨を総合すると、石山の診療経過等に関し、以下の事実が認められる。

1  石山は、昭和六一年一一月ころ、めまい、歩行時ふらつき、吐き気が突然出現し、二日後に広尾病院を受診し、注射による応急措置をうけ、以後定期的に同病院で通院加療を受けていた。その後も歩行時ふらつきがときどき起こり、昭和六二年三月二日、同病院受診時にCT画像上、小脳に異常所見が認められたので、精査のため同月九日同病院に入院した。石山は、担当の保坂医師から、検査の結果、小脳に腫瘍が存在するらしいと診断されたので、同月一一日、遠縁であり、当時、被告大学脳神経外科教授であった被告神保を被告病院に訪ねて相談したところ、被告神保は、自分が責任を持って検査し、治療するから被告病院へ入院するよう石山に勧めた。そこで、石山は、被告病院での診療を希望し、同月一三日に被告神保の所属する被告病院脳神経外科に入院し、被告大学との間で診療契約を締結した。

2  被告病院脳神経外科は、石山の症状を確認し、鑑別診断のため耳鼻科を、併存症状の診断のため眼科を受診させるとともに、同月二三日脳血管撮影を実施した。被告病院脳神経外科は、これら諸検査の結果と、同月一〇日広尾病院で既に実施された頭部CT検査の結果から、石山に小脳血管芽腫(本件腫瘍)があること、本件腫瘍は腫瘍本体と嚢腫(シフト)の部分から成り、その位置は小脳虫部上半部を占め、腫瘍本体(腫瘍結節)は中脳四丘体部の背側にほとんど接しており、従って、その摘出手術は、後頭蓋窩手術としては、最も上部かつ深部の手術となること、本件腫瘍は、放置しておくと次第に増大し、周囲の脳組織を圧迫して症状が悪化することが予想されることを確認した。

3  血管芽腫は、成人小脳や脳幹部に発生する腫瘍であり、腫瘍全体が血管に富む実質性で、非常に出血性に富む。小脳半球に発生した腫瘍は一般的には大きな嚢胞を作り、壁在結節の形で腫瘍がみられる。小脳血管芽腫の治療法は、外科的全摘出手術しかなく、全摘出すれば全治する。大きな嚢胞を作っている場合、壁在結節のみ切除すればよい。病理組織学的には良性腫瘍であり、症状はゆっくりで、進行も遅く、転移を起こさない。しかし、腫瘍の境界が不鮮明なこともまれでなく、全摘出が困難で取り残しがあり得、また、脳幹部発生腫瘍では手術が不可能な場合も少なくなく、右手術不能例に再発例を加えると、全体の腫瘍死亡率は平均二九パーセントとの報告もあり、完全な良性腫瘍とは言い難い面があると言われている。

4  被告神保は、石山の病名の診断がついた時点で、石山及び原告らに対し、被告病院で実施したCTフィルムを示しながら、石山の病巣について説明し、今は症状が軽いけれども、新生物なので放置しておけば必ず症状が悪化する、一、二か月なら待てるが、一年待つのは良くない等述べて手術を勧め、承諾を得た。その際、被告神保は、本件手術の危険性については、それほど難しい手術ではないと思うが、本件腫瘍が脳幹及び延髄のそばにあるので、術後意識が出ないなどの後遺症が出る可能性がないではなく、安易に考えないでほしいと説明した。

5  被告病院脳神経外科は、その症例検討会において、本件手術を担当する脳外科医と麻酔医の手術チーム(以下「本件担当医ら」という。)が参加の上、石山の手術適応の有無、手術の日時、手術の体位、全身検査所見等を検討した結果、本件腫瘍を摘出する手術(本件手術)を昭和六二年三月二六日に実施することを決定した。その際、本件手術の頭蓋内の執刀医である被告神保は、本件腫瘍が小脳部分に位置しており、また、出血に富むという性質を有していることを考慮して、本件手術の体位として、座位を選択することを提案し、右提案を受けて、本件手術を座位で行うことが決定された。

被告神保は、座位手術における空気塞栓の報告例があることは知っていたが、空気塞栓の発生率は報告者によりかなりばらつきがあり、それまで自分が経験した三八例の座位手術の実施例では特段合併症が発生しておらず、また、論文等で空気塞栓の予防法として提唱されていたドップラー超音波器、終末呼気炭酸ガス濃度測定装置、中心静脈カテーテルといったモニターについては、モニタリング及び空気塞栓の予防の実効性に疑問を抱いていたことから、必ずしも右の機器が装置されていなくても、術野に対する十分な注意をしていれば座位手術は危険なものではないと考えており、従って、右モニターを装置するよう麻酔医に特に指示するようなことはしなかった。

6  本件手術は、本件担当医らにより実施され、脳外科医は、山本医師(術者)、河西医師(第一助手)、梅原医師(第二助手)が開頭術及び閉頭術を、被告神保が頭蓋内の処置を担当し、麻酔医(岩淵医師、今西医師ほか)は麻酔及び術中のモニタリングを担当した。

昭和六二年三月二六日午前九時、石山が手術室に入室し、同九時五分、石山に対し麻酔導入が開始された。麻酔医は、本件手術に際し、空気塞栓を診断するためのモニタリングとして、胸上及び食道聴診、心電図、血液ガス測定(間歇的)を実施した(本件手術当時、被告病院に終末呼気炭酸ガス濃度測定装置は備えられておらず、また、ドップラー超音波器は、前胸壁に貼るプローブ(電極)がないため、いずれも被告病院において装置不可能であった。中心静脈カテーテルは、被告病院に備えられていたが、患者に与える苦痛を考慮して、装置されなかった。)。

午前九時三〇分ころから徐々に患者の体が起こされ、同九時四五分ないし五〇分の間に頭部が三点で固定された(座位)。消毒後、血圧が安定していることを本件担当医らの間で確認した後、午前一〇時三二分、山本医師が執刀を開始した(河西、梅原両医師は山本医師を補助した。)。被告神保は、手術室に出たり入ったりしながら、開頭の進行状況を観察していた。

山本医師(及び補助医ら)は、皮膚及び筋層筋膜の正中直線上の切開、骨膜の剥離を、切断面から空気が流入しないように、生理食塩水をかけたり、電気メスで血管を凝固して止血したり、骨ろうを用いたりといった作業を繰り返しながら、実施していった。手術開始後、血圧は最高一二〇ないし一四〇、最低七〇ないし八〇に保たれ、脈拍数六〇ないし九〇/毎分で安定していた(若干の変動はみられるが、皮膚や筋肉など痛みの受容器が存在する場所の操作を行った際のもので、手術中の血圧、脈拍数の経過としては自然である。)。

次に、山本医師は、頭蓋骨に数個の穿頭孔を開け、右穿頭孔をよりどころとして、骨を削り、骨窓を少しずつ広げていった。右操作の際にも、出血及び空気の流入を防ぐべく、骨ろうを使用したり、生理食塩水をかけたりする作業が行われていたが、午前一一時五〇分過ぎころ、予定された除去範囲の三分の二程度に当たる骨弁を除去したあたりで、突然血圧が触知不能となった。心雑音が聴取され、心電図では、右脚ブロック、PAC(心房性期外収縮)、PVC(心室性期外収縮)多発の所見を呈した(以下、右時点に発生した血圧の急激な低下、不整脈等の事態を「本件事故」という。)。

そこで、麻酔医は、直ちに麻酔剤の笑気及びハローセンを切り、純酸素で呼吸を維持し、輸液速度の増加、昇圧剤(カルニゲン二分の一アンプル、ノルアドレナリン二分の一アンプル)の投与、心臓マッサージを行った。相前後して、術創を生理食塩水を含んだガーゼで充填し、ベッドを座位から四五度近くまで戻し、頭位を可及的低位にするよう努めた(なお、本件麻酔記録上、午後一二時付近にというしるしがあり、これを受けて、麻酔記録の欄外にはair emboryとの記載がある。)。

石山の脈拍は極端に少なく、血圧も、マンシェットを巻いて橈骨動脈の血管雑音を聴診して測る通常の方法では測ることができず(右計測法は収縮血圧が五〇位までが血圧測定可能の限度である。)、マンシェットで加圧あるいは減圧しながら橈骨動脈の脈を触診して収縮血圧を測る方法で計測が続けられた。午後一二時二分に収縮血圧六四ないし六五を触診することができ、午後一二時七分ころには血圧が一二〇/八四ないし八五で聴診でき、脈拍数も一〇〇/毎分程度に回復した。以後血圧の低下はなく、午後一二時三〇分ころまで状況を観察していたが、小さい心雑音が聴取されていたので、ショック対策として、リンデロン(副腎ホルモン)一〇〇ミリグラムを静注した。

本件担当医らは、石山の状態が一応安定した後、手術の進行について協議を行い、午後一二時三〇分ころ、不測の重大事態が生じたことにより、これ以上の手術の続行を断念し、石山の体位を縫合手術の可能な程度の座位へゆっくり戻し、術創を閉鎖した。手術終了は午後一時五分であった。

7  石山は、本件事故の結果、循環虚脱による脳虚血あるいは空気の脳血管塞栓に基づく高度の脳機能障害を負い、本件手術後も重度の意識障害及び運動障害(以下「本件後遺症」という。)が残ったため、手術日以降も被告病院への入院を継続した。石山の意識状態は、本件手術後、一時的にはやや軽快し、応答、接食行動もみられたが、意思疎通は不可能であり、昭和六二年一一月ころからは植物状態(失外套症候群)に移行し、平成元年八月二五日、死亡した。石山の死因としては、小脳血管芽腫の増大により橋、延髄背側が圧迫されたことがかなり大きな要素を占め、これに感染性の合併症、栄養状態の低下といった諸条件が重なり、最終的に死亡に至ったものと推測される。

三  本件事故の原因

本件事故の原因につき検討すると、本件手術中、血圧が触知不能となった時点で、心雑音が聴取され、右脚ブロック、PAC(心房性期外収縮)、PVC(心室性期外収縮)などの心電図異常が観察されたことは前記認定のとおりであるところ、鑑定人相羽正の鑑定の結果によれば、空気塞栓の臨床症候としては、①心音の突発性変化、心雑音の発生(きめの荒く聞こえる収縮期雑音、水車様雑音)、②頻脈、不整脈、③低血圧、④心電図異常(心房性ないし心室性期外収縮ほか)、⑤中心静脈圧上昇、⑥過呼吸などが挙げられることが認められ、本件手術中の前記所見は右の空気塞栓の臨床症候にほぼ合致しているといえる。また、証人山本昌昭の証言及び鑑定人丸山正則の鑑定の結果によれば、本件事故の原因としては、空気塞栓のほかにも狭心症、心筋梗塞、肺梗塞の可能性が考えられるが、前記認定の諸々の事情を総合すると、空気塞栓と考えるのが最も無理なく説明がつくことが認められ、さらに、前記認定のとおり、本件手術の麻酔記録にはair embory(air embolismの誤りと思われる。)との記載があり、本件事故発生当時、麻酔医も空気塞栓の発症を疑っていたことがうかがわれることからすれば、本件事故の原因は、空気塞栓であると認めることができる。

ところで、本件各鑑定の結果によれば、血管への空気の流入の仕方には、急速に大量の空気が流入する場合と、少量ずつゆっくり流入し続ける場合の二通りがあること、本件の空気塞栓についても、本件事故発生時である昭和六二年三月二六日午前一一時五〇分過ぎころの時点で、急激に大量の空気が流入した可能性と、右時点よりもかなり前の時点から少量ずつゆっくりと空気が流入していた可能性とを想定し得ることが認められるが、本件全証拠をもってしても、そのいずれであるか断定することはできない(証人丸山正則の証言及び鑑定人相羽正の鑑定の結果によれば、空気塞栓は、筋肉や皮膚といった軟部組織の操作中よりも、硬膜や骨の部分を操作している最中により起こりやすいこと、一般に、空気の混入が小さな気泡の侵入からなる遅いものである場合には、心音の変化や心雑音の発生、中心静脈圧の上昇から、かなりの時間がたって、低血圧や不整脈を来たし、大きな気泡が多数、急速に侵入する場合には、心音の変化や心雑音の発生と共に、急速に血圧低下や頻脈、不整脈が生ずるとされていることが認められ、前記認定にかかる本件手術の進行状況及び臨床経過に照らし合わせて考えると、本件では、午前一一時五〇分過ぎころに急激に大量の空気が流入した可能性が高いとも推測される。しかしながら、他方、〈書証番号略〉及び鑑定人丸山正則の鑑定の結果によれば、空気の流入は座位手術中のどの時期にでも起こり得ること、一般に、座位手術時の空気流入は、少量の空気がゆっくりと流入する場合が多いとされていること、心雑音が聞こえなくても空気塞栓が起こっている場合があることが認められ、結局、いずれかの可能性がその余の可能性を否定し排斥する程強いものであるとまで言うことはできない。)。

四  過失

そこで、被告神保の過失の有無について検討する。

1 手術体位選択に関する過失について

原告らは、座位手術が空気塞栓の発症の可能性を伴い、極めて危険性が高いことは医学上の常識であり、本件手術を座位で実施する必要性は全くなかったのであるから、被告神保には、より安全な手術体位で本件手術を実施すべき注意義務があったにもかかわらず、右危険性を全く認識せず、あるいは無視して、座位で手術を実施する場合の利点のみを追求する余り、極めて安易に座位の体位を選択した過失がある旨主張する。

(一)  そこで検討すると、本件腫瘍の位置は小脳虫部上半部を占め、腫瘍本体(腫瘍結節)は中脳四丘体部の背側にほとんど接しており、従って、本件手術は後頭蓋窩手術としては最も上部かつ深部の手術となること、本件腫瘍は非常に出血性に富んでいることは前記認定のとおりであり、〈書証番号略〉、被告神保実本人尋問の結果及び本件各鑑定の結果によれば、小脳血管芽腫の手術体位としては、座位、腹臥位または側臥位が考えられること、腹臥位による場合は、静脈血圧が高く、静脈還流が妨げられるため術中の出血量が多いという基本的難点がある上、後頭蓋窩上部に到達しにくく、十分な術野が得られない可能性が高いこと、側臥位によった場合でも、十分な手術野、処理スペースが確保できるか微妙で、かなり難度の高い手術となるおそれがあること、他方、座位による場合は、術中の出血量が少なく、無血術野を保ちやすい、頸部前屈が可能なために目標部位に到達しやすいなどの利点があることが認められる。そして、〈書証番号略〉及び証人相羽正の証言によれば、重篤な心臓血管の障害を持つ患者に座位手術を実施することはできないが、石山には、かかる重篤な心臓血管の障害はなかったことが認められ、これらの事実によれば、本件の症例は、まさに座位手術の適応があったと考えられる。

(二)  この点、原告らは、顕微鏡外科の発達によって、術野の確保という座位手術の利点がなくなり、現在では座位手術は行われなくなっている旨主張するが、証人山本昌昭の証言及び被告神保実本人尋問の結果によれば、顕微鏡使用の目的は、術野を拡大することにより手術操作を円滑ならしめる点にあるところ、顕微鏡の使用によっても座位手術の前記利点が失われるものではないこと、症例によっては、座位手術の利点を生かしつつ、顕微鏡を使用して脳外科手術を行う場合があり、本件手術においても、被告神保は顕微鏡を使用して頭蓋内の処置を行う予定であったことが認められるから、原告らの右主張は理由がない。

もっとも、〈書証番号略〉、証人丸山正則、同相羽正の各証言及び本件各鑑定の結果によれば、座位手術は、術中の空気塞栓の発生率が他の手術体位より相対的に高いという欠点を有すること、本件手術の実施された昭和六二年当時、座位手術の右の危険性を指摘する医学論文が多数発表されていたこと、我が国における座位脳外科手術の実施状況についてみると、昭和五九年に行われた調査では、調査対象とされた医療施設のうち約三七パーセントの施設が座位手術を実施していたが(ただし、年間座位手術の症例数が五例以下の施設が七〇パーセントを占めていた。)、昭和六二年に行われた調査(なお、両調査の調査対象施設は同一ではない。)では、同年一年間に座位手術を行った施設の割合は約二六パーセントで(年間の脳神経外科手術の全症例数のうち、座位手術の占める割合は平均約四パーセントであった。)、座位手術を行わない施設のうち、過去一ないし四年間に座位手術を行わなくなった施設が約四二パーセントを占めており、本件手術当時、脳外科手術における座位手術の実施割合は低く、座位手術を行う施設も経年的に減少しつつあったこと、右の座位手術の減少は、座位手術が合併症として空気塞栓を伴うことが意識されたのがその主たる理由であったことが認められる。しかしながら、本件手術当時、脳外科手術において座位手術を実施している医療施設は一定割合で存在しており、また、証人山本昌昭、同相羽正の各証言及び鑑定人相羽正の鑑定の結果によれば、手術体位の決定は、いかなる手術においても不可欠かつ重要な問題であり、時として手術の成功を左右する決定的な要素ともなり得るものであること、手術体位の決定は、その体位をとる場合の利益と危険との比率(リスク・ベネフィット・レイシオ)を考慮して行われること、近年、空気塞栓に対する予防及び治療法が発達したことに伴い、後頭蓋窩病変の種類、局在、大きさ等によっては座位が手術体位として選択されることも少なくなくなってきていることが認められ、これらの事実に、前記認定にかかる座位の利点等を併せ考えれば、本件手術の手術体位として座位を選択したこと自体は、医師の裁量の範囲内であり(もっとも、空気塞栓の発生を常時監視し、早期診断、早期治療に努めることが前提となる。)、この点に過失を認めることはできない。

2 モニタリングに関する過失について

次に、原告らは、座位手術の前記危険性からすれば、被告神保には、空気塞栓についての十分なモニタリング(終末呼気炭酸ガス濃度測定装置、ドップラー超音波器、中心静脈圧測定装置等)を装置した上で本件手術を行うべき注意義務があったにもかかわらず、これを怠り、空気塞栓発症に備えて何らの準備もしないまま本件手術を開始した過失がある旨主張する。

(一)  本件手術におけるモニタリングを担当したのは、本件担当医らのうち麻酔医であったことは前記認定のとおりであるが、証人山本昌昭の証言によれば、本件手術当時、被告病院においては、どのようなモニタリングを装置するかについて、当該手術の責任者である外科医が指示することもあり、手術全般について、患者に対し最終的な責任を負うのは外科医である旨認識されていたことが認められることに加え、前記認定のとおり、被告神保は、被告大学の脳神経外科の教授であり、頭蓋内の処置という本件手術の中核の部分の執刀を担当し、本件手術を座位で行うことを実質的に決定した者であることを考慮すると、同被告は、本件手術全般の責任者であったと認められる。

そして、座位手術中の空気塞栓の発生率が他の手術体位に比べて相対的に高いことは前記認定のとおりであり、〈書証番号略〉及び本件各鑑定の結果によれば、空気塞栓は、その発見が遅れると、心停止、高度徐脈、呼吸停止等の重篤な臨床症状をもたらす場合があること、右症状の発現を防ぎ、あるいは空気塞栓の後遺症を最小限に食い止めるためには、空気塞栓の早期診断、早期治療が極めて重要であることが認められるから、医師が患者に座位手術を実施する場合には、空気塞栓の発生を常時監視し、可能な限り早期に空気の流入を発見し、空気塞栓が診断されたならば、遅滞なくこれに対する適切な治療を行うべき注意義務があるものと解するのが相当であり、被告神保は、本件手術全般の責任者として、右の注意義務を負うべきものと考えられる。

(二)  そこで、まず、空気塞栓の早期診断法についてみると、〈書証番号略〉、証人丸山正則、同相羽正の各証言および本件各鑑定の結果によれば、一般に、手術中の空気塞栓の早期診断法としては、①ドップラー法(ドップラー超音波器で測定する。)、②終末呼気炭酸ガス濃度の測定(終末呼気炭酸ガス濃度測定装置で行う。)、③肺動脈圧の測定(スワンガンツカテーテルで行う。)、④中心静脈圧の測定(中心静脈圧測定装置(中心静脈カテーテル)で行う。なお、中心静脈カテーテルは空気塞栓に対する診断、治療のためには、カテーテルの先端が右心房内に置かれるので、右心房カテーテルとも呼ばれる。)、⑤動脈圧の測定(聴診法により間接的に測定する方法と動脈内にカニューラを留置して直接測定する方法がある。)、⑥心音の変化(食道内聴診器で聞く。)、⑦心電図における変化の観察等のモニタリングが挙げられていること、右各モニターの感度は、①が最も高く(0.025ミリリットル程度の空気流入を感知するといわれている。)、②及び③も早期診断法として優れているのに対し、④ないし⑦は、既に大量の空気が流入した後に初めて空気塞栓の発生を発見できるので、有用なモニターではあるが、早期診断法としては多くを期待できないこと、流入した空気の量を推測することは、①では難しく(もっとも、空気流入が少量の場合は一過性にレコードの上を針が右に横切るときに出る音に似たハイピッチの引っかくような音が、大量の場合には持続性のロウピッチのシャガレ声のような音、あるいはロアリング・ノイズがするといわれている。)、②がより有用であることが認められる。

次に座位脳外科手術における各種モニターの利用状況について検討すると、〈書証番号略〉によれば、昭和五九年に行われた調査では、座位脳外科手術を実施している医療施設のうち、九〇パーセントが⑥の食道聴診器を、六〇パーセントが①のドップラー心音計を、六〇パーセントが②の終末呼気炭酸ガス濃度を使用していたが、昭和六二年に行われた調査(調査対象施設は同一ではない。)では、右割合は、①の前胸壁ドップラー九五パーセント、⑤の直接動脈圧九五パーセント、②の終末呼気炭酸ガス濃度八九パーセント、④の中心静脈圧八九パーセント、⑥の食道聴診器七九パーセント、③の肺動脈圧五三パーセントであったことが認められる。

以上によれば、空気塞栓の診断のための各種モニタリングのうち、早期診断法として優れているのは①のドップラー法、②の終末呼気炭酸ガス濃度の装置及び③の肺動脈圧の測定であるところ、このうち前二者については、本件手術当時、座位脳外科手術における使用頻度も高かった(〈書証番号略〉によれば、終末呼気炭酸ガス濃度測定器の昭和六一年一一月までの関東地区における納入実績は、大学病院(本院)54.2パーセント、大学病院(分院)11.8パーセント、公的及び準公的機関(組合共済病院、労災病院、逓信病院を含む。)11.8パーセントというものであったことが認められるけれども、前記認定のとおり、本件手術当時、座位脳外科手術を実施している医療施設は少なく、右手術の実施割合も低いものであったのだから、終末呼気炭酸ガス濃度測定器の納入実績が右の程度であったとしても、座位脳外科手術における右モニターの使用頻度が高いことと矛盾しない。)のであり、右事実に本件各鑑定の結果を併せ考えれば、本件手術当時、座位手術を実施する際には、空気塞栓の早期診断のためのモニターとして、ドップラー超音波器あるいは終末呼気炭酸ガス濃度測定装置を装置する必要があったというべきである。

そして、本件では、空気塞栓の診断のためのモニタリングとして、胸上及び食道聴診、心電図、血液ガス測定が実施されたに過ぎないことは前記認定のとおりであるから、ドップラー超音波器あるいは終末呼気炭酸ガス濃度測定装置の装置を怠った被告神保には、空気塞栓の発生を常時監視し、可能な限り早期に空気の流入を発見すべき前記の注意義務に違反した過失がある。

(三)  この点、被告らは、ドップラー超音波器は、感受性が強すぎ手術進行の妨げになることが指摘されており、早期に空気の流入を発見しても許容量の限界がわからないため、手術中止の決断をするタイミングが不明であるから、結局モニタリングの効果は疑問である旨主張する。

確かに、〈書証番号略〉及び証人丸山正則の証言によれば、少量の空気が流入したからといって、必ずしも空気塞栓の臨床症状を呈するわけでなく、空気流入の許容量の限界は明確ではないこと、ドップラー超音波器は感度が高いため、モニターの反応があっても空気塞栓の臨床症状が現れないことが多く、手術が続行されてしまうケースもまま見られることが認められる。

しかし、モニターの役割は、正に空気塞栓の臨床症状が発現する前に空気の流入を感知することであって、モニターの感知に基づき、術者は、手術を中止する必要があるか否か、少なくとも手術を一時中断して空気塞栓に対する処置を行う必要があるか否か判断することができるのであるから、モニターの反応があっても手術が続行されてしまうケース(空気塞栓に対する処置の必要なしと判断された場合であろうと考えられる。)があることは、モニタリングの効果を否定する理由にはならない。そして、このことが術者にとって煩瑣に感じられることがあるとしても、空気塞栓の発症率が高い座位手術を選択した以上、それに伴う制約として甘受すべきである。また、ドップラー超音波器をモニターとして使用しても、前記認定のとおり空気流入の量によってかなり異なる音がするといわれており、手術中止を決断すべき時期が必ずしも不明確というわけではない。加えて、前記認定のとおり座位脳外科手術における右モニターの使用頻度が高いことは、そのモニターとしての効果が一般に承認されていることを示すものと考えられるから、被告らの右主張は理由がない(〈書証番号略〉(「空気塞栓の検討と対策―麻酔科の立場から―」)中には、モニタリングの効果を疑問視するかのごとき記載部分があるけれども、右論文の趣旨は、十分なモニタリングを行っても、空気塞栓によりもたらされる重篤な事態を一〇〇パーセント予防することはできず、従って、座位手術の実施には消極的であるべきというものであるから、右記載部分がモニタリングの効果や必要性を否定す趣旨であると解すべきではない。)。

3 事後措置に関する過失について

さらに、原告らは、本件では、手術半ばにして空気塞栓が発症しており、被告神保には、空気流入の遮断、解放静脈の閉鎖、体位の変換、空気の吸引除去等の空気塞栓の対症療法を迅速に行うべき注意義務があったにもかかわらず、空気塞栓の発症に即応できず、単に血圧の正常化のみに腐心し、適切な事後措置を行わなかったか、少なくとも迅速に行わなかった過失がある旨主張する。

(一)  〈書証番号略〉及び本件各鑑定の結果によれば、一般に、空気塞栓の治療法としては、①それ以上の空気の血液への混入を阻止する(術野を生理食塩水で頻回に濡らす、骨ろうを塗る、湿った綿を出血部に当てる等)、②右心房内に貯留した気泡を早急に除去する(あらかじめ挿入しておいた中心静脈カテーテルにより空気を吸引する方法が一般的である。)、③麻酔剤の投与は全て中止し、一〇〇パーセント酸素で人工呼吸を行う、④血圧低下を伴えば、これに対する処置(輸液速度を急速に高めるとともに、昇圧剤、強心剤を投与する。)を行うが、血圧低下が重篤な場合には、血圧の早急な回復を図るべく蘇生術(下肢を挙上し、頭部を低くし、心臓マッサージを開始する等)を施行する、といった措置がとられることが認められる。

そこで、本件事故発生後の処置についてみると、本件担当医らは、本件事故発生後直ちに麻酔剤の笑気及びハローセンを切り、純酸素で呼吸を維持し、輸液速度の増加、昇圧剤(カルニゲン二分の一アンプル、ノルアドレナリン二分の一アンプル)の投与、心臓マッサージを行い、術創を生理食塩水を含んだガーゼで充填し、ベッドを座位から四五度近くまで戻し、頭位を可及的低位にするよう努めていることは前記認定したとおりであり、右によれば、前記①、③及び④の処置はほぼ適切に行われているということができる(体位を完全に仰臥位に戻した方が望ましかったが、証人山本昌昭の証言によれば、本件事故発生時は、後頭部の術創が開いている状態であり、また、座位手術実施中の体位変換は一般に非常に困難であることから、完全な仰臥位にすることは、現実的にはほぼ不可能であったと認められる。)が、あらかじめ中心静脈カテーテルが挿入されていないため、②の処置が全くされていない。

そして、〈書証番号略〉及び本件各鑑定の結果によれば、中心静脈カテーテルによる空気の除去は、空気塞栓の治療法として重要であることが認められ、前記認定したところの座位脳外科手術における各種モニターの利用状況を考慮すると、本件手術当時においても、座位手術を実施する場合には、流入した空気の吸引のため、中心静脈カテーテルを装置する必要があったというべきであり、これを怠った被告神保には、空気塞栓に対する適切な治療を行うべき前記注意義務に違反した過失がある。

(二)  ところで、被告らは、いったん空気塞栓が起こってしまった場合、中心静脈カテーテルを使用していたとしても、流入した空気(気泡)を除去し得た可能性は非常に低いとして、右カテーテルの空気塞栓の治療法としての効果を争っている。

確かに、〈書証番号略〉及び証人丸山正則の証言によれば、空気の流入が明らかな例でも、中心静脈カテーテルからの空気吸引が困難な場合があることが認められるが、〈書証番号略〉、証人丸山正則、同相羽正の各証言及び本件各鑑定の結果によれば、中心静脈カテーテルによる空気吸引の効果を上げるためには、カテーテルを装置する際、レ線撮影などでカテーテルの先端の位置を適切に決定することが重要であること、右心房に中心静脈カテーテルの先端が入っていれば脱気できることは動物実験において確認されていること、臨床的にも中心静脈カテーテルにより空気が吸引された例が少なからず報告されていることが認められることからすると、中心静脈カテーテルは、適切に挿入、留置されていれば、かなりの率で流入した空気を吸引できるものと考えられるから、被告らの右主張は理由がない。

(三)  また、被告らは、患者に与える苦痛やこれを施行することによる合併症を考慮して中心静脈カテーテルを使用しなかった旨主張する。そして、〈書証番号略〉、証人山本昌昭の証言及び被告神保実本人尋問の結果によれば、中心静脈カテーテルの先端の位置を決定する作業には時間がかかること、それ故、被告病院では、中心静脈カテーテルを使用する場合、手術前日からカテーテルを患者の体内に挿入し、一晩放置しておくのを常としていたこと、中心静脈カテーテルの使用に伴う合併症として、一般に気胸、血腫、空気塞栓等が挙げられていることが認められる。

しかしながら、中心静脈カテーテルの挿入が患者に苦痛を与えるものであるとしても、空気塞栓の治療法としての重要性に鑑みるならば、医師としては、座位手術を実施する以上はカテーテルの装置を行うべきであるし(カテーテル挿入の必要性とそれに伴う痛みについて、患者に事前に説明する必要があろう。)、証人山本昌昭の証言によれば、中心静脈カテーテルは麻酔後でも装着できることが認められ、右方法により患者に不要な痛みを与えるのを避けることもできるのであるから、患者の苦痛はカテーテルを装置しない理由にはならない。また、〈書証番号略〉及び鑑定人丸山正則の鑑定の結果によれば、刺入点を誤らなければ、中心静脈カテーテル装置に伴う合併症の発生頻度はまれであることが認められ、前記カテーテルの重要性と比較するならば、合併症発生の危険もカテーテルを装置しない理由とはなり得ず、被告らの右主張は理由がない。

五  因果関係及び被告らの責任

次に、被告神保の前記四2および同3の各過失と、石山の本件後遺症及び死亡との因果関係の有無につき検討する。

1 本件後遺症との因果関係

本件において、いつの時点で空気塞栓が発生したかについては、本件事故発生時である昭和六二年三月二六日午前一一時五〇分過ぎころの時点で、急激に大量の空気が流入した可能性と、右時点よりもかなり前の時点から少量ずつゆっくりと空気が流入していた可能性とを想定し得るが、そのいずれであるか断定することはできないことは前記説示したとおりであるところ、まず、本件事故発生時点よりかなり前から少量ずつ空気流入が起こっていたとすると、ドップラー超音波器あるいは終末呼気炭酸ガス濃度測定装置を装置していれば、早期の段階で空気流入を感知でき、空気塞栓に対する治療を開始することができ得たはずであるから、本件事故の発生を回避することができた可能性が高いと考えられる。そして、本件後遺症は本件事故の際の循環虚脱による脳虚血あるいは空気の脳血管塞栓に基づくことは前記認定のとおりであるから、前記四2の過失と本件後遺症との間には相当因果関係がある。

次に、本件事故発生時点ころに、急激に大量の空気流入が起こっていたとすると、ドップラー超音波器あるいは終末呼気炭酸ガス濃度測定装置を装置していたとしても、本件事故発生と同時あるいはその直前にしか空気流入を感知できないことになるが、右各モニターと共に、中心静脈カテーテルを適切に装置していれば、前記認定のように、右心房に貯留した空気をかなりの率で除去できたものと考えられる。そして、右の空気除去により本件後遺症を予防(後遺症を最小限に抑えることも含む。)することができたかについては、いったん大量の空気流入が起こってしまった以上、中心静脈カテーテルによる空気吸引を試みても、本件後遺症を予防できなかった可能性を全く否定し去ることはできないが、鑑定人丸山正則の鑑定の結果によれば、ほとんど心停止に近い程の循環虚脱の場合、数分間(年齢によっても異なるが、二、三分、長くても五分)で脳機能の永続的障害が引き起こされることが認められることに加え、石山の年齢、本件の臨床経過(血圧低下から血圧の正常化まで一〇分以上が経過しており、その間空気除去の措置がとられず、午後一二時三〇分ころまで心雑音が聴取されている。右心雑音は脱気がされなかったことの表れとみることができる。)を総合考慮すると、なお、中心静脈カテーテルを使用して空気を除去することにより、本件後遺症を予防することができた可能性が高いというべきである。従って、前記四3の過失と本件後遺症との間には相当因果関係がある。

右のとおりであるから、結局、被告神保の前記各過失と石山の本件後遺症との間には、相当因果関係を認めることができる。

2 死亡との因果関係

石山の死因としては、小脳血管芽腫の嚢腫の増大により橋、延髄背側が圧迫されたことがかなり大きな要素を占め、これに感染性の合併症、栄養状態の低下といった諸条件が重なり、最終的に死亡に至ったものと推測されることは前記認定したとおりである。

そして、右死因のうち、感染性の合併症及び栄養状態の低下については、本件事故により本件後遺症が生じたことに起因するものであるし、本件腫瘍の増大については、本件事故が発生しなければ本件手術を最後まで実施できたことは前記認定したところより明らかであり、証人相羽正の証言及び鑑定人相羽正の鑑定の結果並びに弁論の全趣旨によれば、本件手術を最後まで実施した場合、被告病院においては、腫瘍結節の全摘あるいは少なくとも部分切除が可能であり、部分切除に終わった場合でも、残部について放射線治療を行うことにより、いずれにせよ生存期間は相当延長できた可能性が高いことが認められ、これらの事情に照らすと、被告神保の前記各過失と石山の死亡との間には相当因果関係があるというべきである。

3  従って、被告神保の前記各過失と石山の本件後遺症及び死亡との間には、相当因果関係を認めることができ、被告神保は民法七〇九条により、被告大学は被告神保の使用者として同法七一五条一項により、原告らの後記損害を連帯して賠償する責任がある。

六  損害

1  石山の休業損害及び逸失利益

一七七一万六一八二円

前記認定にかかる本件後遺症の程度に照らすと、石山は、本件手術の実施日である昭和六二年三月二六日から、平成元年八月二五日に死亡するまで、その労働能力を一〇〇パーセント喪失したものと認められる。

ところで、原告らは、石山が丸盛から昭和六一年度の実績で年間三四〇万円の給与所得を得ていた旨主張し、右主張に沿う〈書証番号略〉を提出する。

〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、丸盛は、昭和六〇年五月一三日、資本金五〇〇万円で金融業を目的として設立された石山を中心とする同族会社であり、その事業内容は、当初は石山から融資を受け、その融資金を株式会社三優に貸し付けることであり、第一期の昭和六〇年度(同六〇年五月から同六一年四月)の利益が一一万円余、第二期(昭和六一年度)の利益は九万円余であり、第三期(昭和六二年度)は赤字であったこと、原告らは、金融業が思うように利益があがらなかったため、昭和六三年四月一日から社名を有限会社夢路と変更し新事業を始めたが、第四期も赤字であり、その後、右会社は実質上の営業をしていないことが認められる。

右事実よりみると、石山が本件事故に遭遇することなく従前通りの活動を継続したとしても、丸盛が企業として存続し、将来にわたって安定した収益をあげ得たと認めることは困難である。してみると、石山の本件損害を算出するのに、原告らが主張する石山が年間三四〇万円の所得を得ていたことを基礎にするのは合理的ではなく、本件事故時の昭和六二年度賃金センサス第一巻第一表産業計、企業規模計、学歴計、男女別、年齢別平均の賃金額を基礎とするのが合理的である。

そして、弁論の全趣旨によれば、石山は、大正一三年六月二二日生まれの女性であり、本件事故当時六二歳であったこと、死亡当時(平成元年八月二五日)六五歳であったことが認められ、本件医療過誤がなければ、同人は、当裁判所に顕著な平成元年度簡易生命表の平均余命19.95年を生き、九年間は就労可能であったと推認されるから、死亡後の生活費控除割合を三〇パーセント(死亡前は控除せず)として、新ホフマン方式により年五分の割合による中間利息を控除して、石山の休業損害及び逸失利益を計算すると、次の計算式のとおり、一七七一万六一八二円となる(一円未満切捨て。以下同様)。

2,581,600×{1.8614+(2.7310−1.8614)×5/12}+2,581,600円×(1−0.3)×〔{8.5901+(9.2151−8.5901)×5/12}−{1.8614+(2.7310−1.8614)×5/12}〕=17,716,182円

2  石山の慰謝料 一六〇〇万円

石山の社会的地位、年齢、被告病院での診療の経緯その他本件審理に表れた一切の事情を勘案すると、石山の慰謝料としては、一六〇〇万円が相当である。

3  鑑定費用

〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、石山は、禁治産宣告及び後見人選任の申立てに伴う鑑定費用として一五万円を支出したことが認められるところ、右一五万円は、本件不法行為と相当因果関係のある損害といえる。

4  原告らの相続

原告らがいずれも石山の子であることは前記のとおり争いがなく、弁論の全趣旨によれば、石山の相続人は原告らだけであると認められるから、原告らは、右1ないし3の合計三三八六万六一八二円の損害賠償請求権を二分の一(一六九三万三〇九一円)ずつ相続した。

5  原告山田里香の休業損害

原告山田里香は、丸盛から昭和六一年度実績で四二〇万円の給与所得を得ていたが、本件不法行為により、丸盛の一人株主であり、オーナーである石山に本件後遺症が残った結果、丸盛の運営が頓挫し、これ以外に同原告が再就職できる余地はないから、丸盛より受けるべき右給与所得の利益を失った旨主張するが、前記認定のように丸盛が企業として活動し、存続し得たかどうか疑問があり、仮に本件不法行為により丸盛の経営が阻害されたとしても、原告山田里香が他に再就職できる余地がなく、これにより同原告が損害を被ったことを認めるに足りる証拠はないから、右給与所得は本件不法行為と相当因果関係ある損害とは認められない。

6  原告らの慰謝料各二〇〇万円

本件における一切の事情を勘案すると、原告らの慰謝料としては、各二〇〇万円が相当である。

7  葬儀費用 各五〇万円

弁論の全趣旨によれば、原告らは、石山の葬儀費用として、合計約四〇〇万円を支出したことが認められるが、右金員のうち、各五〇万円は、本件不法行為と相当因果関係ある損害と認める。

8  減額事情

石山が、前記の各モニターを装着することによって、本件後遺症および死亡という結果を免れ得たかについては、その因果関係は前記認定のとおりこれを積極に解し得るところであるが、モニタリングが奏功しなかった可能性自体はこれを全く否定し去ることはできないこと、本件腫瘍の位置、性質からして、本件手術は難度が高い部類に属すると考えられること、小脳血管芽腫の腫瘍死亡率が約三割との報告もあること等の諸事情を考慮すると、公平の観点から見て、原告らに生じた損害全部を被告らに負担させるのは妥当ではなく、被告らの負担すべき賠償責任は、原告らに生じた前記損害総額(各一九四三万三〇九一円)の七割と認めるのが相当である。

そうすると、原告らの損害額は、それぞれ一三六〇万三一六三円となる。

9  弁護士費用 各一三〇万円

原告らが原告ら訴訟代理人に本件訴訟の提起、追行を委任したことは本件記録上明らかであるところ、本件訴訟の難易及び経過、認容額等諸般の事情を総合考慮すると、原告らが被告らに賠償を求めうる弁護士費用の額は、各一三〇万円と認めるのが相当である。

七  結論

以上の次第で、原告らの被告らに対する本訴請求は、それぞれ金一四九〇万三一六三円及び右各金員に対する本件不法行為の日である昭和六二年三月二六日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を連帯して支払うことを求める限度で理由があるからこれを認容し、その余はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官滿田忠彦 裁判官加藤美枝子 裁判官足立勉)

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